ビットコインはテクノロジーである。ビットコインは、宇宙の力でも、自然元素でも、どこかの虚空に浮かんでいたものを「発見」したわけでもない。ただのテクノロジーだ。テクノロジーとは、人間がつくり出すものであり、発見されるものではない。それは設計されるものであり、その設計には意図がある。ある機能や仕組みは、その意図を達成するために、特定の方法でつくられている。あるテクノロジーが対応できる限界や許容範囲というのは、そうした設計上の判断の結果であり、その設計判断自体がそもそもの意図に基づいている。
いまの新規ビットコイナーたちは、ビットコインをテクノロジーとして正しく理解することを妨げるようなフィルターを通して、この世界に導かれている。そして、その本質を歪めたまま「デジタル・ゴールド」という箱に無理やり詰め込まれてしまっている。
ビットコイナーたちは「ゴールドバグ」、つまりデジタル・ゴールド狂信者になりつつある。彼らは、ビットコインがまるで魔法のような存在であり、“なんとなく”分散化されていて、成功があらかじめ決まっており、絶対的に保証されていると信じているのだ。
こうしたビットコインのとらえ方は、救いようのない誤解だ。ビットコインは分散型コンピュータネットワークである。ネットワークの状態というのは固定されたものではない。環境は変わる、ネットワークの負荷も変わる、ユーザーの行動だって変わる。そうしたすべての要素がネットワークの健全性や機能性に直接的な影響を与える可能性がある。
金(ゴールド)は、パッチが必要なほど脆弱ではない。金は、ユーザーの使い方が変わってシステムが機能不全になるようなことはないから、主要なサブシステムをオーバーホールする必要もない。金は、サービス拒否攻撃(DoS攻撃)によって「ゴールドネットワーク」全体が妨害されたり、最悪の場合は崩壊するなどという心配をする必要もない。
だが、ビットコインは違う。ビットコインは「デジタル・ゴールド」ではない。ソフトウェアで構成された分散型ネットワークであり、個人が実際に運用し、保全しなければならないものである。ビットコインのゴールド狂信者たちは、この現実との接点を完全に失ってしまっている。少なくとも、リスクを合理的に評価したり、ビットコインが実際に失敗したり乗っ取られたりする可能性について真剣に考えることはできなくなっている。
ビットコインには、根本から解決すべき技術的問題が存在しており、それらはすでに顕在化しており、今後も増えていくだろう。それがテクノロジーというものの宿命だ。ビットコインの真の価値は、それが検閲耐性を備えたネットワークであり、誰にも止められない自由なお金(freedom money)であるという点にある。
この価値の核心を支えているのが、まさに「分散性」である。
分散性を守ろうとする努力をせず、ビットコインと分散的にかかわろうとせず、中央集権化の圧力や制限に対抗する改善や修正を怠れば、ビットコインは分散型ではなくなる。
そして、われわれは、過去数サイクルにわたって「デジタル・ゴールド」という語り口に偏って啓蒙活動を行なってきたことのツケを、間もなく払う羽目になる。この世代のビットコイナーたちは、「分散性」とは不変の性質として刻まれたものではないという事実を、根本的に理解していない。
それは、保全されなければならないのだ。
本記事は、寄稿者によるコラム「Take」です。記事内に述べられた意見は、完全に筆者個人のものであり、BTC IncやBitcoin Magazineの見解を必ずしも反映するものではありません。