「興味深い時代に生きますように」という言葉は、中国のことわざとして広く知られているが、じつは英国流の誤訳。そして、この言葉は呪いの意味をもつといわれている。まるで、80歳を超えた「重度中二病患者」が好んで引用しそうな、奥深い響きをもつ言葉だ。
しかし、あなたは逆の状況を考えたことはあるだろうか? 『アングロサクソン年代記』によれば、ほとんど何も起こらなかった二世紀が存在したとされている。かつて、劇作家のヴィヴィアン・メルシエ氏は『ゴドーを待ちながら』を「何も起こらない劇、それを2回繰り返す」と評した。しかし、191回も「何も起こらない」となると、あまりに退屈すぎる。私はどんな日でも「興味深い時代」を選ぶだろう。
そして、いまがその「興味深い時代」といえる。ステーブルコインUSDTを発行するTether(テザー)が、ライトニングネットワークに参入するのだ。私たちは最近、ライトニングがビットコイン経済の共通言語であり、いかにビットコインが交換媒介(medium of exchange)として機能しているかを強調してきた(詳しくはわれわれのレポートをご覧あれ)。
このふたつの議論が、まさにいま交差しようとしている。ライトニングが共通言語として機能することで、ビットコインはUSDTのような周辺技術と相互運用性をもつようになる。そして、USDTがライトニング上で動作することで、ビットコインの新たなユースケース、新たな市場、新たな課題が生まれ、ライトニングエコシステムはこれまで経験したことのない規模の変化を迎えるだろう。
未知の領域に飛び込むか、それともソファでゴロゴロするのか? 私は迷わず前者を選ぶ。おもしろいことは、すべて「未知の領域」にあるからだ。
ライトニング上でのUSDTは、まさに「terra incognita(未知の領域)」といえる。これから、USDTがライトニングに参入することで生まれる可能性、リスク、そしてまだ解決されていない課題について考えてみよう。
Taproot Assets 101
ライトニングネットワークはもともと、ビットコインのブロックチェーンのスループット(処理能力)を向上させるために設計された。そのため、ライトニング上で扱われるのはビットコインだけだった。しかし、新しいプロトコルである「Taproot Assets」により、ステーブルコインのような代替可能資産を、ハッシュ化されたメタデータとしてライトニング上で送信できるようになった。この仕組みは、ビットコイン決済のインフラを活用している。
仕組み自体は、ライトニングの基本を理解している人にとっては比較的シンプルだ。
- 受取人が請求書(インボイス)を生成し、ネットワークのエッジノード(ユーザーをネットワークに接続するノード)に対して、ビットコインとUSDTの交換レートを問い合わせる。
- ユーザーがエッジノードのレートを承認すると、支払いの請求書が生成され、支払人に送られる。
- 支払人はUSDTをエッジノードに送信し、エッジノードはそれをビットコインの通常のライトニング決済に変換する。
- その後、支払いはライトニングネットワーク上のルーティングノードを経由して転送され、最終的に受取人側のエッジノードで再びUSDTに戻され、受取人に送られる。
このように、ライトニングとビットコインの柔軟性を活かし、新しいタイプの資産をネットワーク上で転送できるようになる。ライトニングのルーティングノードはあくまでビットコインを転送するだけなので、ネットワーク全体の一貫性も保たれる。
しかし、ここには技術的な仕様を超えた大きな意味合いがある。USDTは、数百億ドル規模の取引が日々行なわれる巨大な交換媒体だ。その取引量は、ブラジルのレアルやインドのルピーにも匹敵するほど。これほどの規模をもつUSDTがライトニングに統合されることは、ライトニングとUSDTの双方にとって非常に大きな影響を与える。
The Good:利点
ビットコインにとって
ビットコインを使った商取引の普及戦略は、これまで「オレンジ・ピル(orange pilling)」、つまりひとりずつがビットコインの魅力を伝えていく方法が中心だった。しかし、この方法はすでにスケールの限界に達しているかもしれない。確かに過去15年でビットコイン経済の「輪」は拡大したが、まだ十分に広がったとはいえない。今後は何百万人規模での普及を考える必要があるだろう。
USDTがライトニング上でビットコインと相互運用可能になったことで、この輪には新たな接点が生まれた。ライトニング上では、支払う側と受け取る側がそれぞれBTCまたはUSDTのどちらを使うかを自由に選択できる。例えば、顧客がBTCで支払い、業者がUSDTで受け取る。または、顧客がUSDTで支払い、業者がBTCで受け取る。あるいは、双方とも同じ通貨を使用する。このように、顧客と業者双方の選択が完全に独立しながらも、スムーズに取引が行なえるようになる。

また、米国の税制ではビットコインは株式と同様に扱われるため、ビットコインでの支払いは税務処理が複雑になる。しかし、USDTでライトニングを利用できるようになれば、この規制上の課題を回避できる可能性がある。
テザーにとって
テザーは、これまで実績のあるブロックチェーン上でUSDTを発行してきた。現在、USDTはAlgorand(アルゴランド)、Celo(セロ)、Cosmos(コスモス)、Ethereum(イーサリアム)、EOS(イオス)、Liquid Network(リキッドネットワーク)、Solana(ソラナ)、Tezos(テゾス)、Ton(トン)、Tron(トロン)などのネットワークで利用可能だ。ただし、リキッドネットワーク以外はすべてプルーフ・オブ・ステーク(PoS)型のブロックチェーンであり、ビットコインよりも中央集権的な仕組みを採用している。
特に、トロンはUSDTの取引量がもっとも多いブロックチェーンだが、その中央集権性が問題視されている。トロンが何らかの理由で機能しなくなった場合、テザーはUSDTの取引能力の約半分を失うリスクを抱えている。そのため、より分散化されたライトニングネットワーク上でUSDTを利用できるようにすることは、テザーにとっても大きなメリットとなる。
The Bad:課題
ビットコインにとって
ライトニング上でUSDTが利用できるようになることは、ビットコインの普及にとって大きな前進となる可能性がある一方で、同時に懸念点もある。最大の問題は「ビットコインの利用が減ってしまうのではないか?」ということだ。
これまで、ライトニングネットワークはビットコインの決済手段としての利用を促進するために発展してきた。しかし、もしライトニング上でUSDTが簡単に使えるようになれば、ビットコインではなくUSDTでの取引が主流になってしまう可能性がある。結果として、ライトニングは「ビットコイン経済の共通言語」としての役割を果たすのではなく、単なる「USDTの送金ネットワーク」となってしまうかもしれない。
ビットコインを長期的な価値の保存手段とみなす人々は、BTCを保有することを好むが、日常的な決済では価格が安定したUSDTのほうが便利だと考える向きも多いだろう。特に新興市場では、法定通貨の価値が不安定なため、USDTのようなステーブルコインの需要が非常に高いのが現状。もし人々がBTCを持ちたがらず、USDTをライトニング上で使うようになれば、「ライトニング=ビットコイン経済のインフラ」という理想が失われるリスクがある。
また、ライトニングネットワークは、トランザクション手数料が極めて低いため、他のブロックチェーンよりもはるかにコスト効率がよい送金手段となりうる。その結果、USDTの主要な決済手段がライトニングネットワークに移行する可能性もあるが、それが果たしてビットコインにとってプラスなのかどうかは慎重に見極める必要があるだろう。
テザーにとって
テザーにとっても、ライトニング上でのUSDT運用にはいくつかの課題がある。現在、USDTは主に中央集権的なブロックチェーン上で利用されているが、ライトニングネットワークは完全に分散化されており、ノード運営者が独立して動いている。このため、テザーはネットワーク全体の制御ができず、予測不能な事態が発生する可能性がある。
また、ライトニングネットワークは基本的に「チャネルベース」の決済システムであり、大規模な流動性が必要になる。テザーが発行するUSDTがライトニング上で安定して機能するためには、多くのノードが流動性を提供し、USDTとBTCの交換をスムーズに行なう必要がある。しかし、これがどの程度実現可能なのか、まだわかっていない。
さらに、ライトニング上でUSDTが広く利用されるようになれば、規制当局の監視がより厳しくなる可能性もある。特に、米国政府はテザーの動向を注視しており、USDTの流動性をライトニングネットワークで提供することに対する規制が強化される可能性も否定できない。
The Unknown:未知のリスク
コストは? 価値は?
ライトニングネットワークは、USDTやユーザーに大きなメリットを提供しますが、あらゆるUSDT決済にとっての最適解になるとは限らない。特に、ライトニングネットワークのユーザーは低コストの取引を期待しており、USDTの利用者も中央集権型のブロックチェーンやカストディアル取引所(中央集権的な取引所)での低コストに慣れている。しかし、ライトニングに新しい資産を追加することで、ネットワーク全体に新たな財務的な考慮が必要となり、ルーティングノード、ユーザー、特にエッジノードがこの影響を受けることになる。
まず、エッジノードは通常のライトニングサービスプロバイダー(LSP)としての役割を果たすだけでなく、異なる資産間の変換も行なうことになる。この変換は価値のあるサービスであり、適正な報酬が必要になる。また、このプロセスにはリスクも伴う(詳細は後述)。
次に、USDTの導入によってライトニング上の取引量が大幅に増加する可能性がある。これにより、LSPやルーティングノードはより多くの流動性をネットワーク上に確保する必要がでてくる。中央集権型の取引所のように、単に内部台帳を更新するだけで済むわけではなく、流動性の経済学がより厳格に適用されることになる。
では、ライトニングはトロンのような中央集権型ブロックチェーンと競争できるのか? 答えはおそらく、「ユースケースごとに適した技術が異なる」だ。それぞれの技術には長所と短所があり、用途によって向き不向きがある。ライトニングがUSDTの決済に適しているかどうかは、市場が時間をかけて試行錯誤しながら決定していくことになるだろう。
無料のコールオプション? これはマズいかも
エッジノードは、「無料のコールオプション問題(free-call-option problem)」という新たなリスクに直面する。これは、ライトニングネットワーク上でふたつの異なる資産をやり取りする場合に生じる根本的な問題だ。
ライトニングの決済は、一定時間内に完了しないと自動的にキャンセルされる仕組みになっている。この「時間制限(T)」は、HTLC(ハッシュ化・タイムロック付き契約)の重要な要素だ。
エッジノードは、USDTとBTCの交換レートを提示する際に、自身の流動性状況や市場価格に基づいて価格を決定する。しかし、ユーザーはエッジノードの提示するレートを受け入れた後、HTLCの有効期限が切れるまでの間、決済を確定させるかどうかを選ぶことができる。この時間差の間に市場価格が変動する可能性がある。
例えば、私がUSDTを送る際に、あるレートで取引を開始したとする。その後、市場価格が私にとって有利に動いた場合、私は決済を完了させることで利益を得ることができる。一方、市場価格が不利に動いた場合は、決済を行なわずに、単にHTLCの期限切れを待つことができる。この場合、エッジノードは自らの資金を回収するためにチャネルを閉鎖する必要があり、そのプロセスには時間とコストがかかる。つまり、「価格が有利に動けば利益を得て、不利に動けば損失はゼロ」という、一方的にユーザーが得をする仕組みが生まれてしまうのだ。
この問題に対処するために、伝統的な金融機関は、コールオプションを売る際にリスクを価格に織り込むことで対策を講じている。ライトニングのエッジノードも同様に、このリスクを価格設定に反映させる必要があるだろう。こうした「時間差を利用した裁定取引(intertemporal arbitrage)」は、知識のあるユーザーにとっては非常に有利な取引手段となる。

また、この問題はユーザー側だけでなく、ルーティングノードの故障や意図的な不正行為によっても発生する可能性がある。もしルーティングノードが決済プロセスの途中で正しいプレイメージ(支払いを完了させるための秘密情報)を転送しなかった場合、エッジノードは損失を被ることになる。ルーティングノードに関しては、信用評価システムを導入することでリスクを軽減できる可能性はあるものの、エンドユーザーに対しては対策を講じるのは難しいだろう。なぜなら、ライトニングネットワークには常に新規ユーザーが参加しているからだ。
ライトニングネットワークはビットコインという単一の資産のみをこれまで扱ってきたため、この「無料のオプション問題」は発生しなかった。しかし、この問題が深刻化すれば、最終的には資産ごとに異なるライトニングネットワークが並行して存在する事態になりかねない。つまり、ビットコイン専用のライトニングネットワーク、USDT専用のライトニングネットワーク、その他の資産ごとのライトニングネットワークといったかたちで分裂する可能性がある。もしビットコインがライトニングネットワークの相互運用性から排除されるような事態になれば、「なんでUSDTをライトニングに統合したんだ?」と後悔することになるかもしれない。
「興味深い時代」を生きる
ビットコインは、革命的な存在として誕生して以降、崩壊しつつある法定通貨システムを打破することがその目的であり続けている。私たちはこの革命のためにビットコインにかかわっており、変革と混乱が伴うことは、最初からわかっていた。
しかし、変化そのものはよいことであり、進歩とは「人々が歓迎する変化」のことだ。ライトニングにUSDTが統合されることは、USDTユーザー、ライトニングネットワーク、そしてビットコインにとって、大きな前進となる可能性を秘めている。
もちろん、変化には慎重な準備が必要で、適切な計画と素早い対応が求められる。未知の領域に足を踏み入れるときには、適切な装備とスキルも必要だ。ライトニングの流動性を提供する企業やノードオペレーターは、新たな課題に直面することになるが、大きな利益を得るチャンスでもある。
テザーは、経済的で分散化された流通ネットワークと、米国市場へのよりよいアクセスを得ることができる。ライトニングは、大規模な流動性と新規ユーザーの増加という恩恵を受けるだろう。そして、ビットコインはUSDTとのネイティブな相互運用性を実現することができる。
ただし、規制当局はこの動きを注意深く監視している。そして、エッジノードが持続可能なかたちで変換サービスを提供できるかどうかも重要な課題だ。私たちは、ライトニングの新たな進展を従来通りのアプローチで進めていく必要がある。慎重に考え、設計し、コードを堅牢化し、市場を準備しながら、最終的な目標である「ユニバーサルなビットコイン経済」を実現するために。

