ビットコインが誕生して以来ずっと、セルフカストディ(自己管理)——つまり、銀行やその他の金融機関のような第三者を介さずに自らの資産を保有・取引できる能力——は、核心的な価値のひとつであり続けてきた。
ある人々にとって、セルフカストディとは「自分自身が銀行になる」という権利を信じる強固な思想だ。一方で、セルフカストディを実践的な対策とみなす人々もいる。つまり、取引所のハッキング、管理不備、あるいはFTXの破産のような破綻によって資産を失わないための対策として、セルフカストディを選択する。銀行に預けずに現金を金庫に保管するようなもので、「取り付け騒ぎ」が起きても、自分のコインは安全だ。
ビットコインの歴史を通じて、セルフカストディの「方法」はかたちを変えてきたが、今日では、その復元手段として事実上の業界標準となっている「シードフレーズ」が、ひとたび問題が発生すると、ユーザーに(ときに甚大な)損失をもたらすことも少なくない。
差異のない区別
ビットコインの初期には、セルフカストディしか存在しなかった。若干の単純化を承知でいえば、セルフカストディとは「秘密鍵の情報」を自ら扱うことを意味していた。秘密鍵とは、64文字のランダムな文字列であり、鍵の保有者にはビットコインの所有権とアクセス権が与えられる。当時、秘密鍵を管理するツールは非常に限られており、「暗記する」か「紙に書いて安全な場所に保管する」くらいしかなかった。しかし、たった1文字でも間違えれば鍵は機能せず、アクセス不能になる。たとえ「正しく保管した」としても、盗難、事故、災害によって失われるリスクが常に付きまとった。
こうした課題を解決するために登場したのが「シードフレーズ」だ。これは、長いランダムな文字列の代わりに、いくつかの単語で秘密鍵を管理する仕組みで、Bitcoin Improvement Proposal 39(BIP-39)として標準化された。正しい単語の並びさえ保持していれば、いつでも同じ秘密鍵を復元でき、資産へのアクセスが可能になる。
たしかに、一般的な単語のほうが、長く複雑な文字列よりはるかに扱いやすい。しかし、人的ミスや盗難、災害などによる紛失リスクという点では、シードフレーズと秘密鍵に本質的な違いはない。まさに必要なときにバックアップを失くした経験のある人にとっては、それは「差異のない区別」にすぎない。一度失えば、それで終わり。取り戻す手段は存在しない。
宇宙時代の資産なのに、石器時代のセキュリティ?
いつの間にか、多くの人にとって「自己管理=シードフレーズ」という認識が定着してしまった。しかし、自己管理とはモノではなく「能力」である。そして、シードフレーズは能力というよりも、「リスク」としての側面のほうが大きい。
もちろん、シードフレーズがあれば秘密鍵を再生成できるし、資産を別のウォレットに移すのも簡単だ。しかし、それと同時に、シードフレーズを一見しただけの第三者でも同じことができてしまう。いわば「核のスイッチ」であり、一度それを手にした者には、ウォレット内のすべての資産に対するアクセス権が与えられる。だからこそ、多くのユーザーは非常に原始的な方法でセキュリティを守らざるをえない。地中に埋めたり、古典的な暗号文に変換したり、複製して複数の場所に分散保存したり、あるいは高耐熱の金属プレートに刻印したり……といった具合だ。
しかし、デジタルキャッシュという最先端の資産に対して、「コーヒー缶に入れて庭に埋める」ような方法がセキュリティの最前線というのは、もはや滑稽に近い。宇宙時代の資産に石器時代の安全策を当てはめているようなものだ。そして、唯一の復元手段が、本人でさえ簡単に紛失してしまいかねないものだという事実は、こう問いかけている。「そんなに簡単に失えるものが、果たして復元手段と呼べるのか?」と。
シードフレーズの管理は、たしかに秘密鍵を扱うよりはマシかもしれない。だが、それでも「よい」とは言えない。セキュリティの観点からも、安全性やユーザー体験の面からみても、そして何よりビットコインの発展と普及のためを思えば、シードフレーズはもはや最適な選択肢ではない。
「未来のお金」は、その名にふさわしくあるべきだ
ビットコインは、もともと電子キャッシュとして誕生し、いまもその目的をもって存在している。つまり、それはソフトウェアであり、実際に使われることを前提として設計されたものだ。しかし、多くの人々にとって、ビットコインを安全に保有することが、大きな不安や実務的な困難の原因になってしまっている。もっとよい方法があるはずだ。
「未来のお金」は、感覚的にも、機能的にも、そしてセキュリティ的にも、未来のテクノロジーにふさわしくあるべきだ。それは新たな可能性を開き、ユーザーに安心感を与え、直感的かつ心地よく使えるものであるべきだ。そして、たった1文字のタイプミスや紙切れを紛失しただけで、コインにアクセスできなくなるようなものではあってはならない。
たとえ自己主権を重視する筋金入りのビットコイナーであっても、シードフレーズの扱いが面倒であることには同意するはずだ。それは、不恰好な一時的措置に過ぎず、本質的にデジタル通貨であるビットコインの最終的な解決策となりうるものではなかった。シードフレーズを「セルフカストディの本質」であるかのごとく扱うのを、私たちはそろそろやめるべきだ。
※本記事はMax Guiseによるゲスト寄稿です。記事内に述べられた意見は、完全に筆者個人のものであり、BTC IncやBitcoin Magazineの見解を必ずしも反映するものではありません。